清風萬里 全国大井田同族会

会長の挨拶

同族会会長就任にあたり、大井田の歴史を簡単にまとめて紹介します。
 今から800年ほど前に上野国(現在の群馬県)から越後妻有(新潟県十日町市・津南町周辺)に土着(大井田になり、1333年(元弘3年5月)新田義貞公が、北条幕府討伐の兵を挙げるや、妻有から二阡騎の兵を率いて真っ先に駆けつけ、建武の忠興実現に貢献したことが「太平記」に記されております。1336年(延元元年)足利尊氏・直義兄弟と、備中福山城で氏経は少兵二阡騎で足利直義20万の大軍を迎え撃って奮戦したことは余りにも有名で今も語り種で伝えられています。一族はその後社会の諸々の変遷を経て1380年(庚暦2年4月8日)付の上杉憲実の「越後知行分重書案」の中に妻有荘が越後守護の上杉房方に伝領されていたことが記されており、この頃には一族の組織的抵抗は終止符を打ち、1392年(明徳3年には南朝両朝の合一が成立、50余年に及ぶ戦乱の歴史は幕を閉じ、米沢大井田は、十二代義住が長尾影為に仕え、1513年(永正10年)死去したと記されている。時を経て上杉に仕えた一族は、山形大井田、栃木・鹿沼引田大井田などは、会津へは行かずに越後に土着、分水町の解良も一族であり、越前(福井県)の越前中納言、松平秀康に仕えた大井田房仲、佐渡には大井田監物房仲がいた。高知の大井田は豊臣秀吉との関わりがあった。また湊川の戦いでも楠木正成と運命を共にしたとの流れが残っている。武蔵国(埼玉県)や信濃国(長野県)、深谷の井田、栗田、解良、田中も同族である。肥後(熊本県)の大江田、井田は長く細川との縁が深い。このようにして南朝時代から戦国時代にかけて、各地に離散して各々の道をたどって生き抜いていった。
 大正9年8月に上町の長泉寺境内から命じ36年に建立された、忠魂碑「大井田遠江守」「大井田式部大輔」[羽川刑部少輔」「中条越前守」の四基を城山の頂上に移転建立、記念事業慰霊式を中魚沼郡内有力力士が多数参加して、青年相撲大会が盛大に挙行され、城址保存会に継承され挙兵200年祭が5月この地にて挙行された。戦前戦後を通して先人達によって節目節目の祭事は、保存会の皆様の協力によって受け継がれてきました。とは云え地元保存会の方々と同族有志のお陰で祭事が途絶しなかってのです。平成3年に「全国大井田同族会」が出来たことは私たち子孫にとっては意味深いことで、「心の拠り所」で子孫にとって有難いことです。自分を中心に親を求めて進みますと、この大先祖の世界に到達するのです。また、自分から子供、孫を求めますとどうでしょうか、そこの夢があると思いませんか?
これらは先祖に対する供養は子孫への夢の創造になるのです。ネットを通して同族の方を含め関係有る方々、どうか大井田の扉を開けて下さい。お待ちしております。

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