大井田城、山頂の忠魂碑
中条地区のほぼ中央、東方にそびえる標高300mあまりの三角錐形の山が、「中条の城山」とよばれている大井田城跡(じょうせき)です。
頂上の本丸跡には、南朝のためにつくした大井田経隆(つねたか)・氏経(うじつね)父子をはじめ、羽川刑部少輔(はねがわぎょうぶしょうゆう)・中条越前守(えちぜんのかみ)らの忠魂碑が建っています。そして、これらの石碑のそばに、松の老木がありました。
これは、大井田二代目の大井田兵部大輔義隆(ひょうぶのたいふよしたか)の手植えと伝えられる「城山の千年松」です。大井田一族が活躍した時代から約 700年間、この地を、ここの人々を、見まもりつづけてきた「千年松」は、昭和50年ごろ枯れてしまい、伐採されました。今は、碑文や校歌などに残るだけ となりました。
この城は、けわしい地形をうまく利用し、土塁(どるい)や空壕(からぼり)など築いて、大井田氏の本拠にふさわしい堅固な防備をかためています。(大井田城跡は、昭和53年3月31日付新潟県文化財に指定されました)
そして、この城を中心に、大井田十八城とよばれる多くの支城がありました。左右と前後に新座(しんざ)城(新座地区、大井田氏経の居城 とのいい伝えがあ る)、峰の薬師、陣が轟砦(とどとりで)、大峰砦、狐城、下狐城、花水砦、魚田川城、柴倉砦(いずれも中条地内)廿日城、原山砦、平砦、(いずれも下条地 内)などをめぐらし、山麓の段丘には尾崎館(尾崎・大井田経隆の居城とのいい伝えがある)、高橋館(旭町)、坪野館(中町・中条越前守の居城とのいい伝え がある)、笹山館(笹山)などの支城を配置し、これらと密接なれんけいをもちながら、敵からの守りをかためていました。
※城跡については調査研究がなされて、次第に明らかになってきましたが、だれがどの城にいたのかなどは、分かっていません。今後の調査が期待されます。