清風萬里 全国大井田同族会

大井田堂十一面観世音(大井田氏の歴史)

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  • 十一面観世音
  • 台座裏に「寛政五年十月 十一面」と記されている
  • 観音堂内にある大井田城址沿革が記された掲示板
  • 井田家 初代~8代戒名名前碑(裏面)表面も同様文字
  • 大井田城址を視察の下滝町、井田氏の方々(写真提供:田中直司氏)

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Z-03・Z-04(並べて) 十一面観世音(左写真左)と台座裏に「寛政五年十月 十一面」と記されている写真右
Z-05 観音堂内にある大井田城址沿革が記された掲示板
Z-06 井田家 初代~8代戒名名前碑(裏面)表面も同様文字
Z-07 大井田城址を視察の下滝町、井田氏の方々(写真提供:田中直司氏)

群馬県高崎市下滝町の大井田堂十一面観世音

 高崎市の市街地から東の方角に位置する滝川地区は、関越自動車道と北関東自動車道が交差接続する交通の要所(高崎JCT)で、井野川、滝川が南北に流れています。農村地帯だったこの地域は、近年、道路の開通で発展がめざましく近くには、群馬県立歴史博物館、群馬県立近代美術館の施設を有する群馬県立公園群馬の森や、観音山古墳、日本原子力研究所など施設等が集まっています。

 高崎市下滝町には井田氏が多く住んでいます。源氏の一族の新田氏里見系の大島義継が越後の大井田郷に土着して大井田氏になったといわれています。南朝の武将 新田義貞の挙兵に、大井田郷から参戦して帰郷後井田姓に改姓して移住した子孫であるといわれています。井田氏は群馬県の西部地域に多く下滝町の総本家、井田熾男(たるお)氏は二十四代で、隣接の井田家の共同墓地を守っています。近くの菩提寺高野山真言宗 慈眼(じげん)寺にも一族の墓地があります。同寺は天平年間(729~749)南都東大寺初代別当良弁僧正(689~773)開創と伝える古刹であり、「滝の慈眼寺」といわれ、またシダレザクラの名所として有名です。 

 井田氏の家紋は丸井桁で、初代金剛本初居士・井田新五左衛門吉長公 応永十五年(1408)から八代覚心安住居士 井田新右衛門 慶長3年(1598)までの石碑が共同墓地にあります。

 隣接の共同墓地には年代不明の石塔が数多くあり、石塔の古さから井田氏が下滝に早く定着したことがうかがえます。

 下滝町定着は、永禄年間後の天正末年か(1591)、文禄年間(1593~1595)とあり(『続・新田一門史』編著薮塚喜声造より)。共同墓地入口左側には大井田堂十一面観世音の記念碑(昭和六十一年四月十八日 井田源三郎建之)が建てられています。源三郎さんは、熾男家の生れで、先祖の調査に貢献された方と聞いています。墓地敷地内正面には約四メートル四方の観音堂が建てられています。観音堂内正面には十一面観世音像が鎮座しており、毎年四月十八日に一族で先祖祭りをしているようです(平日の場合は日曜日に実施)。十一面観世音像は木製で、高さ四〇センチ程で金色に彩色されています。台座の裏に「寛政五年十月 十一面」と記載されています(1793)。現在、下滝町には、井田氏が多く住んでいます。前橋市、高崎市、伊勢崎市ほか多くの井田氏が群馬県に住んでおり、同じ井田氏として今後の交流が期待されます。利根川を越えて埼玉県本庄市、熊谷市、深谷市にも多くの井田氏(栗田氏も同族)が住んでいます。

 本庄市を中心とした井田氏(栗田氏も同族)の方々は、地域における一族の歴史に勤勉で全国大井田同族会の会員です。

 記:田中直司 全国里見一族交流会(事務局長)

●写真とキャプション
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Z-03・Z-04(並べて) 十一面観世音(左写真左)と台座裏に「寛政五年十月 十一面」と記されている写真右
Z-05 観音堂内にある大井田城址沿革が記された掲示板
Z-06 井田家 初代~8代戒名名前碑(裏面)表面も同様文字
Z-07 大井田城址を視察の下滝町、井田氏の方々(写真提供:田中直司氏)

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